どんな相手であれ、初の接触を試みるには多かれ少なかれ*1勇気が必要だと思うんだ。友達の友達でも、偶然隣の席になった同級生でも、たとえ紹介された人でも。でも、もっと勇気がいるのは実は二度目の接触かもしれない。様々な具体的憶測が働き始めるのは一度目の接触の後。不安要素もその分たくさん生まれる。自分が相手にどんなにいい印象を持ったところで、相手に悪い印象を持たれていたら意味がない、というか、相手を不愉快にさせかねない分だけ逆に心苦しい。また、自分が相手に悪い印象を持った場合、相手からどんなにいい印象を持たれていても、話していて不愉快な人とは接触したくないだろう。前者のような心苦しさが無い分、こちらの方が余程ましだが。というか、そこまで嫌な人は皆無といっていいほど存在しない。それなのに、自分の事となると、もしかして自分は嫌われたんじゃないかとか、つまらない奴と思われたんじゃないかとか、そういう事ばかり考える。これは漫画にあったセリフなのだが「嫌われないように生きるのって大変だけど、嫌われないように生きてるってバレたら嫌われちゃうよ?」という言葉がある。自分はどう見られているんだろうか。そう思うこと自体が「嫌われないように生きている」ことなんだろうか。ベクトルを外に向けなきゃいけないのに今はまだそれが出来ていない。閑話休題。二回、三回と接触を重ねると、相手の自分に対する印象もだんだん分かってくる。もちろんそれを表さないような人もたくさんいる。しかし何となく滲み出るものはある。長く付き合っていると、それはだんだん変わってくることが分かるものだ。口に出して「印象が変わった」と言われることが少なからずある。さて、友達が友達でいたかったのは印象が変わる前の自分だったのか、変わった後の自分だったのか。まぁそんな事を言えたならば友達じゃない、とも言えるかもしれませんが。一度会っただけで本性を見破れる人なんてまずいないだろうし、見破られない自信もある。それはきっと全ての人にいえること。極端に洞察力の鋭そうな人とか、逆に全く何も考えてなさそうな人を前にすると自分がサトラレになったかのような気分になることもありますが、まあ、それは相手が読めないからだと思う。人に好かれるのは「分かりやすい」人だそうです。「分かりにくい」人に対しては不安になって余計な推測が働くのだろう。たぶん、ただそれだけ。というか毎日毎日、私は何を書きたいんだろうか。実は根本で繋がっていることかもしれない。心の奥で思い悩むことが、何かあるのかもしれない。それは「私」という表層意識には分からない。とりあえず今日で封じ込めてしまおう。だらだら悩む事が一番非効率的だ。割り切るところは割り切れ。イザヤ、君はもっと単純な人間である事ができるはずだ。

*1:人によってかなりの差がありそう。