今日は完全に自分用のメモですので。


相手に無理をしてほしくない心理について
1.無理のさせ方で差があるかというと
友人であれ恋人れあれ家族れあれ、相手に要求をすると、何かを強制するという点では大なり小なり何らかの無理を強いることになる。または要求せずとも自分のために何かを行ってもらうのならば、その人がその人のためだけに行動しているわけではないからやはりどこか無理しているのではないかと感じることになる。つまり受動的でも能動的でもあまり関係ない。
…とはいえ、受動的な方がやはり好きではない。それは「好かれたい」より「嫌われたくない」気持ちが根底にあるだろうから。私自身、「嫌われたくない」思いで行動するくらいなら、むしろその人から離れることを選ぶ。相手にそれを悟られたくないし、何よりそんなことをする自分が嫌になると思う。
2.無理をさせてることについて
そもそも無理をさせることの何が不安・不満なのかというと「相手に気を遣わせたり負担をかける(気がする)」「自分が過剰に尽くされている(気がする)」「勝手な精神的疲労により嫌われる(気がする)」…等等。全て杞憂でしかないかもしれないのにやはり心配になる。
3.ではどうしろというのか
自分のために頑張るなんてしてほしくない、でも放置されるのはごめんだ。こんなことを言っていては相手だって困る。言いませんけど。要求するのは好きではない、けど望むことをしてもらえないのも好ましいとはいえない。だって我が侭な一人っ子ですから。だから結局波長が合う人としかいられないし、付き合いが続かないなら仲良くもなれない。
4.とりあえず基準を考える
無理はしてほしくないけど、たまに我が侭言っちゃうんですよね。その場限りの我が侭を聞いてもらうときはさほど罪悪感はないのに、恒常的な要求をするのは物凄く躊躇われる。当然か。。ただ、その場限りだろうが自分が言い出した我が侭ではない場合はすごく罪悪感を感じることもあり…。ああもう分けが分かりません。
相手の負担が基準なわけではない。相手の種類が基準なわけではない。自分の嬉しさが基準なわけではない。自分が言い出したかどうかが基準なわけではない。相手が気付いたり理解したか否かが基準なわけではない。その場限りか恒常的かが基準なわけではない。相手への依存度が基準なわけではない。…何が基準なんだろう。
5.自分におきかえると
私は相手のために何かを頑張るというのは嫌いではない。むしろ喜んでもらえることを行うのは好きだ。では何故相手にされると戸惑い不安になるかというと…そこが不明だから困る。最終的にはそれを解明したかったはずなのですが。結局何も解決しなかったなあ。
6.まとめになってないまとめ
自分が「何となく嫌だ」って思うことこそ、実はすごいコンプレックスが潜んでたりするんですよね。だから気付かなくてよかったのかも。深層心理の自己防衛、みたいな感じで。怖いもの見たさって部分もあるけど、一度知ってしまったら忘れられないものだから知ってしまってからでは遅い。



推敲も何もあったもんじゃないから読みにくいなあ、もう。まぁいつか読み返す自分、頑張れ。今の私の気持ちを一応覚えているだろうし。
何故こんなことを考えたかというと、私が「相手に無理をさせないようにしている」ことを彼氏があっさりと指摘してきたから。自分に対してだけそうしてると思って言ったのかなーとは思うけど、心がけてたこととはいえ、どうして分かったんだろ。似たもの同士なのだろうか。でも、簡単に似てるとか考えたらだめなんだ。そこから先に考えたことを書くのは少々憚られます。ので終了。


あー、自分で自分がよく分からない。自分で自分が何を考えてるのか分かってないんだもの、当たり前の話ですね。まぁ、今に始まったことではないのですが。